こどもの一生(備忘録)

 

 

祝 こどもの一生大千穐楽🎉

 

この舞台主演の話が飛び込んできたのは、今年2月のこと。自担松島聡くんが、病気療養に入ってしまった八乙女光くんの代役として、抜擢されることとなったのは、これまで、升毅さんや、谷原章介さんなど数々の名優によって演じられてきた、鬼才中島らもによる奇作「こどもの一生」である。

 

 らもファンによれば、筆者が一種のトランス状態の時に書かれたというこの奇作を、舞台2度目、そしてまだ数えるくらいしか演技経験の少ない自担に、果たして演じ切れるのだろうか…。そんな一抹の不安を感じながら、初日を迎えたわけなのだが、その不安をぶち壊すほどに、目で、耳で、五感をフル動員させて楽しむことのできる、傑作のエンターテイメントホラーをこの春目の当たりにしてしまった。

 

○2022年版のこどもの一生

 

今回が、5回目の舞台化となった本作。前回が2012年の上演とのことで、実に10年ぶりの舞台化となるわけだが、原作からも、2012年版からも長い年月が経ち、人々を取り巻く環境が変わったこと、そして主演が松島くんになるということを鑑みた設定変更や、演出が施されている。

 

 とにかく今回秀逸だと感じたのはストレートプレイながら随所に踊りの演出を入れ、音と共に全体の奇妙さを底上げしている点。この異様な空気感は言語化するのが極めて難しくはあるが、少ない舞台装飾と休憩なしのノンストップ公演にも関わらず、観客が集中力を途切れさせることなく、世界観に没入できる。

 

 また、原作に比べて、セクハラやパワハラ描写がかなり軽減されていたり、不気味さや伝えたい内容の根底はブレさせることなく、そして、今回訪れるであろう客層も配慮していたと考えられる部分が随所にあった。そのため、一見くせのあるらもワールドでも楽しむことができたように思える。

 

◯こどもの一生とは
 

そもそもこどもの一生は、何を伝えたかったのだろうか。現代のストレス社会への警鐘?それとも、人それぞれ抱えてる孤独?

 

正直、ストレスに晒され、そこから解放されるためのMMM療法という位置づけで10歳にこども返りしてはいるものの、個人的には大人以上にこどもの方がときに残酷で、ストレスに対して最も無防備なのではないかと思う。

 

顕著なシーンは山田のおじさんごっこである。三友が横柄で社会性のない暴君だったとしても、束になって精神的な攻撃に及ぶことが果たして得策だったか?と言われると、私は得策だったとは口が裂けても言えない。

 

歯止めになるルールがない、そして自制が効かないということが時に引き起こす残酷さのようなものが、垣間見えたような気がした。

 

最もこれは、私自身が10歳の時の環境が良かったわけではないとうことが大きな理由ではあるが。

 

こどもの頃に戻れたらと何かを懐かしむことはあったとしても、そこまで意識や精神が退行してしまうことに対して、観劇していて私は1番恐怖を抱いた。

 

そもそもこのMMM療法の果てに、結局人々はストレスから抜け出すことができるのだろうか...?幼児退行したとて、目覚めた時に元々持っていた社会性をスクラップビルドすることができるのだろうか?

 

最後、三友が戻って来なかったことを考えると、ふと、MMM療法が果たしていい方に作用していたのかという疑問ばかりが頭を巡ってしまう。

 

ある意味サイコパスと疎まれた暴君の三友でさえ、冒頭の最後の追加シーンのように、極度のストレス状態では孤独に苛まれ幻覚にすがってしまうのだから、本当の意味での解決はこども返りではなし得ないんだろうなと思う。

 

個人的にはらもの晩年を考えると、こども返り=薬物による酩酊状態を指している(原作ではアミタールという薬物を投与しこども返りをしていくので)と思われるので、今回の演出変更も踏まえてより、なんだか救いがないな...と思ってしまった。

 

絶望...まではいかなくとも、たとえ自分の苦しみなんかを何らかの形で回避したとしても、正常な自分が戻ってこれなくなる場合があるだぞ、的なことを突きつけられているような感じというか。

 

現代社会へのアンチテーゼとまでは言わなくとも、らもがこれを通して何を伝えたかったのだろう、それを受けてG2さんが何を表現したかったのだろうと理解するにはまだ自分には足りないものがあるのかもしれない。

 

一筋縄ではいかないからこそ、足繁く通い、理解したくなる。そんな舞台だった。

 

◯松島くんの成長

 

座長とはいえ、年齢も、歴も圧倒的に後輩の松島くん。だが、周りの先輩方の良さをググっと吸収し、公演中に何倍もの速さで成長していった様子を随所に見ることができた。

 

とくに進化を感じたのはセリフのない部分での演技。"柿沼"、そしてこども返りした10歳の"かっちゃん"、柿沼の"他人格"と、3つの方向性の演技が必要になるため台詞回しだけでなく、セリフを言わない間の動きも3キャラクター分違ってくる。

 

"柿沼"なら秘書としての立ち回りになるため、社長である三友より先に座らない、必ず三友の椅子を出す、院長にMMM療法について聞き出せずに三友に睨まれ萎縮したり、秘書としての主従関係をベースにした動きが大きく、こども返りした"かっちゃん"の場合は10歳のこどもらしい無邪気さと、こどもかえり前の柿沼を思わせる弱腰の雰囲気を纏っていた。3つの演技のパターンを掴む必要性があるため、座長初挑戦の中、この複数キャラを演じると言うのはかなり大変だったはず。

 

初日はまだ劇場の空気と馴染めていないところがあり、キャラクターの変化がすこし、ぶつ切りになっていたように思えたが、日を重ねるごとにその「キャラクターならどう動くか」を頭で考えた動きではなくて、自然と、「その人が無意識的にそう動いている」風に変わって行ったのが今回1番変化を感じた部分だった。

 

なにより松島くんは、思っていた以上に映像よりも舞台向きだと確信できたのも今回の大きな収穫である。映像での演技より遥かに、舞台での立ち回りがより自然で、いい意味で、「ジャニーズ事務所のアイドル」と言う部分をあまり感じさせなかった。

 

「松島くんは絶対すごい舞台俳優になる」

 

そう確信できた舞台だった。  

 

コロナの影響や地震によって実施が叶わなかった公演もあったけれど、大千穐楽のカーテンコールで涙を浮かべながらも、たくましく挨拶をする自担を見て誇らしかった。

 

素敵な舞台に連れて行ってくれてありがとう。

 

俳優 松島聡はまだ始まったばかり。

これからの松島くんがどんな顔を見せてくれるのか。期待が膨らむ春の2ヶ月だった。